育てられたようにしか育てられない

今週のお題「おかあさん」

 

こんにちは、さとこです。

 

うちの母は教育には厳しい人で勉強はやればやっただけの成績になるという現実的な考えです。なので怠けるとすぐにバレて静かに叱ります。怒鳴るという叱り方はせず、淡々と静かな青い炎のようなイメージで、言い訳なんて言えない場合が多かったと記憶しています。私は毎回、唇を噛んで黙りこくっていました。言いたいことは頭にあるのに、声に(言葉に)した時の母の反応が怖くて、声に出せないんです。あれは、辛いです。

 

褒めることも叱ることも下手なのだと今では理解出来ます。と、言うか人間性が冷静過ぎるんです。ただ静かに見守るという一番辛い選択をしがちで、そりゃあヒトの道をし逸れたら正してくれるのでしょうけれど、生憎、まだ逸れたことはしていません。そう言えば、母が泣いた姿を記憶していません。

 

ただ、いつでも冷静過ぎて、不器用で、母なりに愛情込めて育てたであろう娘が突然高校3年生から病んでしまったことは残念に思います。

 

1人の人間として見てくれていることは有り難いのですが、叱られ慣れていない娘は、もう少しだけ子供扱いをして欲しかったです。叱って欲しかった、感情をぶつけて欲しかったと思います。言葉にしないと子供は理解出来ないんです。自問自答は大人になってからで充分です。

 

今だからこそ、そう思うんですよね。ドラマなどで見る《うるさい母親》に憧れがなかったというと嘘になります。良い子になり過ぎた私と不器用な母はどこかですれ違ってしまったのだと思うんです。それは、今も平行線のまま。ですが、今更聞いても母を責める形になってしまうと思います。

 

ツレを紹介した時も、ツレを我が家に招き入れた時も、母(と父もですが)は、すんなり受け入れてくれました。偏見がないのか、興味がないのかは分かりませんが、嬉しかったと同時に不安になりました。弟が突然「結婚する」と告げた時も冷静でしたけれど。

 

なかなか、腹の中の読めない母ですが、先日の私の誕生日にはLINEをくれて、私は「産んでくれてありがとう」と伝えました。

 

あまりにも素っ気なくて、一時は、実母ではないのでは?と思いましたが、今ではなんでも良いです。仕事が忙しくて低血糖で病院に運ばれた時、後に無事だと分かったから事務員さんの前では心配ではなく大爆笑してしまいましたが、本当は夜勤入りでもなんでも飛んで行きたかったというのはここだけの話です。

 

食に興味が薄いし偏食だし、肺気腫にはなるし、ちょいと押したら倒れそうなイメージだし、そんなに若くもないし、趣味らしい趣味もないし。

認知症になったら、あっという間に進行してしまいそうな感じです。

 

母の日にはスタバのアイスコーヒーを3個包むつもりでいます。今のところ、アレが一番美味しいと言っていたので。

 

あと、祖父母の家で撮影した家族写真は、宝物にしようと思います。

どんな形になろうと、私は両親と弟達のことを大切にしていきたいと思うのです。