ココロの天秤の傾き

こんにちは。休日な、さとこです。

 

昨日は、実家に戻り母とお喋りをする半日でした。月に1度はある半日の実家戻りなのですが、色々と話をする中で私なりに考え、気付き、結論としましては、やはり母のことが大好きなのだと思いました。

 

我が家の話になりますが、幼い頃から母方の祖父母を「チチ、ハハ」と呼ぶ習慣がありました。両親も弟達もそうです。私は今でも母方の祖父母をおじいちゃん、おばあちゃんとは呼べません。三つ子の魂百までとはよく言ったものです。成長して、両親のことを「父、母」と言うことを学んだ時、非常に混乱しました。音が同じなのだけれど、私にとっては全く違うヒトたちを指すのですから。なので両親は漢字で、祖父母はカタカナで脳内変換をし、文章上でもそうすることにしたのです。

 

そして母方に限ったことなのですが、タメ口を使用せず、敬語で会話をするのです。祖父母は茨城生まれの人ではないので(祖母は浅草あたりだと聞いています)訛りは全くないのですが、その子である母は茨城生まれなのにあまり訛りがないのです。その子である私や弟達も、思った以上に訛りはありません。なので、幼少期に友人のおばあちゃんと会っても全く言葉が理解出来ませんでした。当時は方言もよく理解出来ていなかったのですが、そこは柔軟な子供ですので日常会話ぐらいなら、すぐに慣れることが出来ました。子供って凄い!

 

聞いた話ですが母は私を出産した時、祖父母の面会後に同じ部屋(6人部屋だったそうです)の方に「今のはお姑さんとお舅さん?厳しそうな人ね」と言われたそうです。実の両親と敬語で話をするのは田舎では少し不思議に写るのでしょう。しかし、私達にとってはそれが普通のことだったのです。敬うという言葉を知らない幼いうちから躾けられると、こんな風に育つのだなぁと思いました。

 

それは、大人になる——介護士になる前のバイト先である接客業——までは随分と役に立ちました。なんてことない、少し気を付けていればなんなく好評価を頂いていたのですから。

 

大人になって、イントネーションはともかくとも訛りやタメ口に違和感を持つようになって、友達にまで改まるような私の最大の難関が今の職場でした。ヒヨッコな私は、なんとか基本中の基本であるコミュニケーションを円滑に取ることが出来るように、みるみるうちに訛りやタメ口に染まっていったのです。

 

今でも、タメ口に違和感があります。違和感を持ちながらの仕事は、もしかしたらストレスになるのかもしれないと思った昨日、明日から時間が掛かっても頑張って今までの私に戻そうと思うのです。もちろん、7年の習慣はすぐには治らないでしょうけれども、少しずつ改善していこうと思っています。利用者さんに分かりやすく砕けはしますが、少なくとも同僚や上司には戻して行こうと思います。あ、親友とツレは今まで通りで行きますが。

 

そんな昨日の話でした。

気付きがあると、心が軽くなるような気がします。なんてことない事でも気付けたことの幸せは大きいものですね。

 

本日は昼過ぎまで寝てしまい、お天気が良いので、ツレの為に羽根布団に風を入れることにしました。寒がりさんなので湯たんぽと暖房入れて夜を過ごしているのですが、さっさと羽根布団を出せば良いのではないだろうかと思いながらいました。面倒くさがりな私とツレではありますが、大体は私がやってしまいます。本当は午前中からやれば良かったのでしょうけれど、昨日の明けは就寝時まで一睡もしなかったので眠気が大変強かったのです。ので、昼過ぎからでもやらないよりはマシだろうと思い行動に移しました。お日様も必要ですが、乾いた風に当てるだけでも少しは違うと思いたいです。もちろん、ファブはしました。

 

ダイソーで夏ぐらいから探していたシーグラスマットをようやく入手することが出来たので、早速、結束バンドで繋ぎ合せ簡単なゴミ箱を作りました。なんとなく、柔らかくて温かみがある気がします。夏に探していた時には商品はあるけど取り扱っていないと近くのダイソーで店員さんに言われたので、まぁ当時流行っていたのもあるし品薄で仕方がないのかなぁと思い諦めていたんです。それがようやく、探していたBBクリームと共に並ぶようになったので、田舎ってこんなものかと思いました。

 

明日は午後から事務処理を行えるといいなぁと思います。

 

では、また。